生田春月碑
生田春月碑
文面は右にあります。
生田春月は、鳥取県米子市出身の有名な詩人で、昭和五年五月十九日播磨灘の船上から身を投じて三十九歳の若き命を自ら絶った。詩集『霊魂の秋』(1917)と『感傷の春』(1918)で詩人の地歩を固め、ゲーテやハイネの翻訳でも活躍した。
生田春月「海の詩」碑
「甲板にかゝってゐる海図。−これはこの内海の海図だ−じっとそれを見つめてゐると、一つの新しい未知の世界が見えてくる。普通の地図では、海は空白だがこれでは陸地の方が空白だ。たゝ゛わずかに高山の頂きが記されてゐる位なものであるが、これに反して海の方は水深やその他の記号などで彩られてゐる。これが今の自分の心持をそっくり現わしてゐるやうな気がする。今迄の世界が空白となって、自分の飛び込む未知の世界が、彩られるのだ。」